2017年6月26日月曜日

チョ・ドゥルホ、ですと?

「町の弁護士チョ・ドゥルホ」なるドラマ、おもしろそうだと思ってなんとなく録画しといたものを見たりしているが。

まーこれがおもしろいのなんのって。サスペンスやらコメディやらシリアスやら、トーンがめまぐるしく交差するんだけども、いやもうおもしろくって。設定の甘さがないわけでもないけど、相当キチンと作ってある方ですな、韓ドラには珍しいことだが。

元々取り立てていい男というんでもない主人公が、心根の気高さに基づいて行動するがゆえに超かっこいいスーパーヒーローに見えてくる、のだ。で次の瞬間ずっこけおとぼけに戻ってみたりとか。

Rosy Life 1994に心底怒って心乱れっぱなしの私としては、ああどうしてなにゆえにチェ・ジェソンさんには、このように作品の設定や人物造形自体が魅力的な役を務めるチャンスがなかったのであるか!と、あああ怒りが倍増三倍増するのである。やればやれた、と私は思うのよ?やっぱねえ、あれですかしらね。素材としてのチェ・ジェソンさんが魅力的美しすぎたのが災いして、凡人には使いこなし活かすことができなかった、ってやつですかしら。あるいは魅力的すぎるので製作者サイドの嫉妬を買ってしまい、活かしてもらえなかった、ってやつ?往年の、夕焼け空に誓った愛を白い砂に埋めるあの方、の浮き上がりっぷりとどうしても重ね合わせて見てしまいますよ私は。

ああもう、30年ほど時を巻き戻せ。でもってこのアテクシに監督やらせてみなさいよ!

2017年6月24日土曜日

元の私にして返せ!

ああもう。「장미빛 인생 バラ色の人生 Rosy Life」 1994のせいで、アタマの中が大変なことになってるよー、直らないよー。この映画を見る前の、昔の私を返せ。じゃなかったら、23年前の美しいチェ・ミョンギョルさんと、23年前の美しい美しい美しいチェ・ジェソンさんを、耳を揃えて今すぐ私の前に並べてくれ、つうか返せ戻せっ。

このわしが、脚本書くあるいは監督するから。

ただ、どこのなにがどう、なのでかくまで心乱されるのか、いくら考えても何回見直しても特定できないのだ。それで余計に気になっちゃうんだけども。

と、動揺を言い訳としてお勉強はすっかりお留守になっているところへ、本日「韓国語の発音と抑揚トレーニング」および「サウラビ」が到着。「サウラビ」は、出回っているお写真など見る限り、ちっともグッとは来ないし、チェ・ジェソンさんが全然かわいくなく写ってるし、駄作との呼び声高いし、で敬遠していたんだけども、あれ?チェ・ジェソンさんが主演の扱いだったんだー、へえー。そして密林なぞ見ますに、おお、千円ちょっとで叩き売ってる(笑)ではないですかー。だったらいいか?と思ったの。ところが安すぎて送料がかかるざます。なんか一緒に買うか?と、なったものですから。

2017年6月20日火曜日

まだ動揺しとるよー

Rosy Life 1994による動揺はまだ治まってない、というか、結構そればっか考えているー。





きのう忘れてたけど、こんなお写真もあったわー。これこそがものっすごいウソ写真である。店がこんなに明るく清潔であったことも、こういう陽の光のもとで牧歌的時間を共有できる関係性でも全然なかったじゃんかよう。あ、それに、ポーズは牧歌的、マダムは比較的牧歌的であるというのに、ドンパルはなんだかずいぶんと屈託しておるな。謎写真だ。

ほんでまあ、私は動揺したりおセンチになったりしているのだわと思ってたけど、いやもしかすると私も屈託しちまっているのかも?とも思い始めた。なんかね、脚本が、筋が立ってないのだよね。


ええとドンパルさん、なんでまたマダムを手篭めになぞするのですか

ええとマダム、手篭めにされようとする・されてる・されたあなたの反応が謎すぎます

ええとドンパルさん、手篭めにしちまってから純愛路線をひた走るとは一体何事ですか

ええとマダム、シッシッと追い払ってたと思ったらいつの間に惚れてたのですか

ええと御両人、街中で爆発音・銃声が響いてもなぜ驚いたり慌てたりしないのですか

ええと凄腕スナイパーさん、あの態勢で背後から被疑者のみを狙撃するのは絶対不可能です

ええと警察のダンナ方、ふふホシの逃亡を幇助するためのクサい芝居だな?ぐらい読めないの?

ええとマダム、ドンパルの亡骸を抱いて号泣したりすると全部バレてドンパルの死が台無し

ええと、身を捨てて犬のように死したドンパルの汚名は、雪いだ、のでしょうか誰か?


あああもう、またぞろ頭っから見るんだろうな延々と。今だってものすごく見たい。でも見たくない。なんだかつらいわー。



2017年6月19日月曜日

장미빛 인생 バラ色の人生 Rosy Life 1994

・・・、なぞというものを、きのう今日と2回見てしまってですね。私はおセンチというかなんというか、変になってしまっていますう。お勉強はまたお留守になるう。

ずいぶん前にちょっと味見したときには全然気づかなかったんだけど(爆)、これ英語字幕ついてたのねー。元々チェ・ジェソンさん作品でまともに見られるものの数は多くなく、また「我が家のハニーポット」が見られなくなっている現在、曲がりなりにも意味がわかりかつフルで見られるのって実はこれひとつだけになってるんじゃ・・・(戦慄)・・・。

なんでかよくわからないんだけども、この作品を見た私の内心は大変に大変に疾風怒濤となっております。最初に登場した時のチェ・ジェソンさんはあんまりかわいくないなーとも思ったんだけども。30になるやならずであるはずなのに、丸く四角く化の兆しが見えるような。メイクと扮装と役作りなんだろうけどね。でも見続けて行って、感情移入の度合いと比例するかのように、もうもうかわいくってかわいくってしょうがなくなってくるのだった。そして、かわいそうなような、不条理でひどいような、でももしかしてああなるより他なかったような、ああいう形で去って行ってしまわれるわけなので、見ている私は取り残され感がひどい。いやんつらい(涙)。

私謹製キャプチャ画像(笑)  
サウナ(?)で眠りこんでしまわれる、チェ・ジェソンさん演ずるところのドンパル氏。しかしやっぱりセンスのないカメラワークである。このうるわしい光景はほんの一瞬なの。せめて10秒ぐらいゆっくりとっぷりと映し出せばよいのに。こんなにうるわしいのにっ。

あああ、1/16レプリカにしてガラスケースに収める、あるいはほら観光地土産などによくあるあのガラスに閉じ込めたやつ、あんなのを作って我が枕頭に据えたいものです。うふふ・・・って、眺めながら眠りにつくのです。時折はうふふ・・・って、撫でさすったりするのです。あ、もちろんガラスの上からですよ。うるわしくはかないものに、みだりに手を触れたりしてはいかん。

いくつか魅力的なお写真が出回っているけども、たとえば







これらね。実はこれら、実際には作品中に存在しないショットなのだ。 もー、1枚目と3枚目なんかさ、うおおおこんなシーンが見たいぞっ!って、映画館に走ってしまいそうになるじゃない?今走ったってやってないけどさっ(涙)。

と、まあこの作品のせいで大層おセンチになりつつも、ドンパルのうるわしの左肩にちっちゃく咲いている赤いバラを見て、そうそうだよ、昔そういうのがあったあった。と、思い出したのですね。「バラの刺青」という古い洋画が。私は見てない、しかしまだずいぶん子供の頃にあらすじを読み、うおおお見たいかも?って思ったんだった。で今思い出しても、やっぱりすごく見たい。

けども、DVD売ってないですー。英語版字幕なしならどっかしらで見られるとは思うけども、意味わかんないのも悲しいしなあ。仏語字幕版でもないかしらんと仏国密林を見たけどダメ。英語版これはジャポンにはお届けできないわよとか、スペイン製仏語字幕なしだよとか、わー使えねえ。

そして、「バラ色の人生」と仰せになるというのならば、ほほうあのアレと一体どういう関係があるというのかとっとと明らかにしてもらおうではないですかっ!って、思いませんでした?というかこの場合は思わないとダメなわけであるが。

La vie en rose は、マダムがお見合いしている間だけ、それもちょっと安手のインストゥルメンタルでかかってただけ、だった。全編を通じてホントにそれだけ。すごい残念な使い方なのではあるまいかとね、私は思います。当時の一般観衆のみなさんには、意味わかってたのかなあ?

2017年6月15日木曜日

チェ・ジェソンさんの個人麺と共用麺

「恐れのない愛」だか「恐れない愛」だかいまひとつ把握できてない作品を、鵜の目鷹の目で眼球スキャンして夜更かししましたおはよう(爆)。

第3話に、また麺が登場しました。あの地下だか半地下だかのスタジオ?で、友だか後輩だか仕事仲間だか(ええとなにせ全部妄想的理解なのでわからん)のひとりと並んで麺を食しておいでになりました。目を凝らしてよく見るとそれはどうもなんらかのカップ麺である。つまり、麺容器をひとりでひとつ片手に持ち、もう片方の手で掬い上げ食すという態勢。

じーーーっと目を凝らす私をあざ笑うかのように、チェ・ジェソンさんが麺を口に運ぼうとする・運んでいる時に限って相方のアップになるという、全くセンスの欠乏しとるカメラワークであって、うがあああ、卓袱台ひっくり返したくなった(爆)。

で肝心の麺掬い上げ動作であるが、おおなんということだ、非常にあっけないほどに普通、だった。
お箸の端の方で尋常に掬い上げ、垂直方向に吸い上げる、と。

はいここで仮説。「チェ・ジェソンさんの麺」として名高いあの現象:お箸に麺をかなり幅広にしかし比較的薄く取って食すというあの動作は、どうも個人容器で自分専用として分配された麺の場合ではなく、他人と分かち合う共用容器に入ったものを比較的遠いところから取って食す場合に出現するものであるのではないか。

どの作品のどこだったか忘れちゃってイライラするんだけども最初に発見したシーンは、確かお鍋のままのラーメンらしきものをみんなでつつくというものだったと思うし、「深夜食堂」ではソルタングクス、なぜ一人前なのだ?おじさんらなので健康に留意して食べ過ぎないようにしとるんか?という具合にふたりの間にひとつ置かれた容器から、少し手を伸ばすようにして取り分けてるものね。ええとそう言うそばから、いかに記憶がいい加減であるか思い知らされるので、あとでまたチェックしよっと。

2017年6月14日水曜日

チェ・ジェソンさんの麺と余人の麺

あああダメだあ、描写するの難しすぎるー。のでとりあえず断念しとくけども。

いやでもね。一般的にはお箸の比較的先端部分に任意の量の麺を引っかけ、皿なり丼なりの麺を垂直方向に吸い上げる動作をおこなうことになると思われるのだけども。「深夜食堂」でチェ・ジェソンさん演ずるところのリュの隣で食べる旧友の刑事さんが、まさにそう。チェ・ジェソンさんの場合は、お箸のもうちょっと上の部分にまで麺が幅広に(しかし割と薄く)掬い上げられているため、まずその横並びになった麺たちを水平方向に吸い込み、しかるのちに垂直方向に吸い上げるということになるのだね。しかしねえ、チェ・ジェソンさんのこの動作は流れるようで大変美しいの。食べ方として大変にきれいなのである。同時になんだかちょっとやんちゃな感じもするの。

エ?愛に目が眩んでおるせいだと?もうなんとでも言っといて。というか私の愛はほっといて。

これは「深夜食堂」の第18話である。いやー、チェ・ジェソンさんの麺ったら個性的です特殊ですうと思ってたら、なんと同回で麺喰い三人娘のひとりが、掬い上げ方がかなり幅広(この人は薄く幅広ではなく、かなりもりもりに巻きつけてたけども)であった。まーあんまりチェ・ジェソンさんとのかかわりが深そうにも思えぬ女優さんの動作であるので、かの国においてはそういう流派もある、ということなのかもしれん。

麺と言えば、そうそう「パンチ」にも出て来たっけね。ええと瀕死のあの検事さんとええとあの悪いおじさんが、差し向かいでチャジャン麺を食すシーンがあったよそうあったあった。確認の結果、それは第16話であることが判明。検事さんのチャジャン麺のかきまぜ方は、お箸を2本片手で持ったままであり、あまり鮮やかでもなくよく混ざってもいなかったわー。「深夜食堂」の刑事さんは、ソルタングクスなる謎のあっさりスープに浸った麺を、わーあの絵に描いたかのような{典型的}お箸を1本ずつ両手で構えてぐりんぐりんと、ええとその食物に関してはそこまでして混ぜる必要もあまりないかに見えますけどお?という動作を鮮やかに披露してくださいます。

いやそれにしても、だ。私は結構チェ・ジェソンさんとニアミスしちまっています。「一途なタンポポちゃん」「深夜食堂」「朝鮮ガンマン」、まだ他にもあったかしらん。「朝鮮ガンマン」に関しては、存在に気づいた頃にはチェ・ジェソンさんの出番はとうに終わってたとは思うけどもなんかつまんなく(イ・ジュンギでは萌えられないタイプ)、「タンポポちゃん」はなにが気に入らなかったのかな覚えてないけど、見るのがかったるかった。「深夜食堂」は、第1回の人々が主な登場人物で、チェ・ジェソンさん演ずるところのリュと、「オレの息子かもしれん疑惑」の苦学生などを中心にほのぼのと進行してってくれる・・・のかと思いきや、なんだとおオムニバスかよっ!とがっかりし、そのオムニバス話たちのおもしろさにムラがあったため、途中でやめちゃったりしたの。だからこの肝心な第18話も見てないの。というわけなので、大変太っ腹なSBSさんがオンラインで無料で見せてくださってもね、妄想をたくましーくしてもそれは妄想なのであって理解はできないの(悲)。

チェ・ジェソンさん演ずるところのリュは、ああ、苦学生の母と落ち着いて幸せになることはできなかったのね(ええと、どういう関係性だったか忘れちゃったー。ゆきずりであったのか軽かったのか悲劇的破局だったのか)、んまー(悲)だわー。とね、思ってたんですよ。そしてこの度18話を妄想的視聴いたしまして、おおお、初恋に破れたのだね、しかも初恋の人を守らんとして絡んできた不良を叩きのめして重傷を負わせてしまったかなんかで、人生が暗闇の方向へと曲がってしまったのだね(本人の志とは裏腹に、押し寄せてくる外圧により人生が捻じ曲げられるという、駒形茂兵衛パターン)。しかもその初恋の人は、彼女に愛されてなかった方のはずであった親友の妻となっており、かつ不治の病に冒されているかなんか、だね?いや全部妄想的理解だけども。

おかしい。やっぱりおかしい。なぜチェ・ジェソンさんは幸せになってないのだ、あんなにかわいいのにっ。絶対におかしい。

2017年6月13日火曜日

チェ・ジェソンさんの麺

先日ドラマのどれだかを見ていて(「恐れのない愛」かなんか。多分)すでに「?!」と思っていたのだけども。本日「深夜食堂」18話を見て確信した。

チェ・ジェソンさん、あなたの麺の食し方は大層特殊です。最初に気づいた時は、もしかしてそういう種類の演出かなんか(それによってやんちゃぶり等々を表現する!)かとも思ったのですが、いやまさか「我が家のハニーポット」じゃああるまいに、そんなに各所でしょっちゅう、過去作品へのオマージュというのかセルフパロディというのか、そんなことばっかおやりになったりはしないでしょう?

と、いうことはこの、麺をお箸にかなり幅広に取り、一瞬お箸を口に対して垂直方向に近づけ・・・

あ、ああああ説明すんの難しいな。夜も更けて参りましたので明日にするけどもさ。うふふそういうわけでこれはチェ・ジェソンさんのパーソナルタッチなのでアルカ?普段もこうやって食べておいでになったりするのおおおん?と、私は当然ながら萌え萌えになり妄想満開になっていたんだけども、ふと気づいたりもするのは、

おおお、この2作品は23年ほどの時を経て、しかし同じくSBSのものだったのだね。うわーどっちだろ?

あと別件だけど、忘れないうちに。「我が家のハニーポット」がチェ・ジェソンさん大解剖!みたいで大層不審である問題。ハニーポット内において、チェ・ジェソンさん演ずるところのテジュンさんは、玄関開けてすぐそこの大層大層端近なところで、これまた大層頻繁にミダルさんとイチャイチャし、居候婆さんとかプンギルタン社長とか娘とか弟とかに踏み込まれては大慌てでドタバタするのだけども、そして私はそれらのシーンを大変に愛好してたりするのだけども。はは、「恋せよシングルママ」にもそっくりシーンを発見。それは多分第30話のことだと思うわ。私が気づいただけでももう3パターンぐらい出たな。すごいね、あといくつあるんだろ?

2017年6月9日金曜日

クラウン韓国語単語550

というのを、きのう衝動買いしてきたわけなのだが。あははまだ始めてなーい。

チェ・ジェソンさんへの愛(爆)が少々落ち着いてしまったせいもあり、朝鮮語のお勉強はもう2,3週間ぐらい超低速飛行となっておるこのテイタラク。あはは、本ばかり買い始めるという例によって例のごとし。

この「クラウン韓国語単語550」は、かの長渡陽一氏の著作であるというのもあって買ってみたのだがね。あのひくたか、とか、たかたか、とかね、味見できるかな?などとも思ったので。ただまあ、味見の点ではホントに耳かき一杯分でしかなく、はああやっぱり「韓国語の発音と抑揚トレーニング」を買わざるを得ないということになるもよう。

この「単語550」、どうも全くの初心者がさあ始めてみよっかな?という際に使用させたいという意図によって編まれたもののようだ(前書によると)。知識ゼロから、単語を入口としてなんとかしちゃおうという、なんというか斬新なアプローチ。おもしろい。

ただねえ、タイトルが悪い。さあちょっと齧ってみよっかな~という時、いきなり単語帳?ぽい本を手に取ったり買ったりは、多分しないでしょ。せっかくのアイデアがねえ、惜しいことです。

2017年6月5日月曜日

多読多聴の韓国語

本日、「多読多聴の韓国語[初級編] 対訳世界名作文学」が到着。あんまりにも字が読めるようにならないのを、一体どうしたらいいのやら懊悩した挙句なんだけども、届いたこれは想像とちょっと違ってた。でもしょうがないのでしばらくこれちょっとやる。

「我が家のハニーポット」第15話(かなんかそのぐらい)まで見たところ。当然ながら一部早送りである。

ミダルさんの弟の恋物語がものすごいおもしろいですな。演ずる俳優さん、この初期の頃の方が、テジュンさんが登場して以降よりも存在が生き生きとした感じに思えるけども。

対するミダルさんは、いやー全くもって下品極まりないし、悪辣だし。受け取ってはいけない汚いカネは受け取って早速使うわ、ポムを肉屋のマ社長に売りつけようとまで画策するわ、いやーもうこのおばはん誰かなんとかしてーっ!って毎回叫びたくなるのでありました。今日見たところでは、故・オ班長の遺品を受け取りに来ないと処分しますよと会社から連絡を受けて、そんなカネにもならんもんは捨ててください!とか言い捨ててるしー。あれ?あれれれれれ?

周囲の反対を押し切って若くして結婚した初恋の人たるダンナに悪いから、あーやっぱりあなたと結婚はできないわ、とかテジュンさんに言ったり、ごめんなさいね、死んだらあなたの許で永遠の眠りにつくから、今はテジュンさんと結婚して幸せにならせてもらうわ、みたいなことをあとでさんざん言ってなかったっけか?そ、そそそそれはテジュンさんに対してもダンナに対してもあんまりな言い草ではないのか?とも、もちろん思ったけどね。

草原酒場は、今からおよそ20年ほど前に開店したという設定だったはずだけど、弟ペダルの未来の妻に「私は30年店やってんのよ!」とかタンカを切っていた。結局ミダルさんは年齢いくつの設定なのであるか、ますますどんどんわかんなくなってくるな。

チェ・ジェソンさんのいない「我が家のハニーポット」、つまんねーはつまんねーなりにも筋がわかってくるとそれなりの興味が湧かないこともない。あーしかし、チェ・ジェソンさん登場まであと40回ぐらいあんだよー。それまで根気が持つのかしらん?

2017年6月4日日曜日

瞼のチェ・ジェソンさん

「野人時代」の主題歌(であるらしい?)「야인」というのを発見しましてな、外を出歩くに際してはリピートさせつつがんがんと聴いているわけなのである。

ハイライトシーンをつなぎ合わせた結構かっこいいMVとなっておる。が、そこにはチェ・ジェソンさんはひとかけらも出てこない。チェ・ジェソンさんはあとになってから、「この役をやれるのはあなたしかいません!」との熱烈なラブコールに応えて出演を決めたのである、と、やたらと自動翻訳にかけてみた関連記事のどっかに書いてあった。ま、そうでしょうともさ。他の誰にあのマルオッカ警部殿がやれますか、っての(何故私が自慢せにゃならんのかは不明。爆)。

MVとして結構かっこいい。曲もかっこいい。歌っている강성という人、本来的にものすごく好きな声というわけでもないんだけどもね、気にならないぐらいに、そしてリピートしてるうちに愛好するようになってきちゃうというぐらいにかっこいい出来である。

でーもーねー。もろもろすべては全部ふっ飛ばしの丸無視ですよ。言っておきますけども、がんがん、と聴いている私は、ひとっかけらも出てこないチェ・ジェソンさんつまりはマルオッカ警部殿の、断片動画でちらちらと拝見したその面影だけを、瞼の裏でころころと転がしウットリと妄想の翼を広げつつ歩いておるわけなのですからね。












2017年6月1日木曜日

(やっと)終わりましたな

「千秋太后」最終回。きのうだったけども今日になって見た。一部早送りで。

カン将軍散骨のシーンは、いちおう見せていただけましたがね。フン、おばはんよう、公約通りカン将軍の故郷じゃなくって鴨緑江に撒いちゃう、わけなのねっ。なんやらいろいろ謝ってたけどもさ、アナタの故郷じゃなくってこんなところでごめんなさいねとは、ちっとも謝ってなかったぞ。それにしても、だ。あそこはヒンヒン泣いてるおばはんの過剰な顔演技を延々大写しにするんではなく、笑顔で駆け寄ってくるカン将軍とか、屋根から降ってきて槍ぶんぶん振り回して護ってくれるカン将軍とかのボーナス映像ぐらいちらちらとはさんでくれたらよさそうなもんである。ったくセンスないわね。
 
ユ内官2号の仇討ちはまあ、あんなもんでしょうかね。あのねアンタ、それってかえってカン将軍には迷惑なんだけど?というのは置いといて。

ハ中郎将もねえ、別に悪くもないと思うけど、キャラが特別に立っている人でもなかったのに尺を割きすぎという感が否めなくて、作品全体から考えてバランスが悪すぎると思うぞ。

黄州小君が訪ねてくるシーン。私だったらキム・チヤンさんに超若作りさせるとこだけどなー。あるいは一瞬だけ若き日のキム・チヤンと二重写しにする、とかな。それによって、ももももしかして小君なのか?って面影によって気づく、と。結局のところはこのアタクシを裏切り、高麗にさまざまな危機をもたらした謀反人だったとしても、太后様にとっては遅咲きの初恋であり唯一の愛、であったわけなんだからね、もうちょっとおセンチな内心が心ならずも表れてしまいましたー的な描写があってもよさそうなもんである。

契丹の将軍で最後に残って8年後にまた攻めてくるあの人(お名前失念ソ・ベアプ東京留守)を、いくら契丹憎しったってあんな情けなおっさんとして描写するのはひどすぎる、フェアじゃないよと思いまーす。

白い着物着て田んぼでふぉっふぉっふぉって笑ってるドッカ様、契丹第三次侵攻の際に総大将を務めるドッカ様、ちとカッコよすぎでしたよ惚れそうになったよ。あんなじいさん、しかも本来的には文官な人以外に総大将の人材は居らなんだのかね?それって独立国家の危機管理体制としてはどうなの?あのじいさん死んじゃったあとはどうするつもりだったの?という当然の疑問は置いといても、だ。

ま、一本のドラマとしての出来をどう思うか?とね、誰にも問われもしやしないとは思うが(爆)、はああいまひとつ、なんではないでしょうか?いろいろ感傷的な要素をはさみ込みすぎのくせに全然活かせてなくって、そんなら最初から入れるな!ってな中途半端になることが多すぎたように思いますのよ。今度チェ・ジェソンさんを使ってかような作品を作ろうという場合には、事前にこの私を通していただきたいわ。