2017年4月23日日曜日

歌は語れ、台詞は歌え(朝鮮語事始その3)

「チェ・ジェソンさんによる懇願調あるいは宥め諭し調のなんとかヨ」が、相当程度に恋は空耳であることが判明し、結構悲しくなったりもし。そうこうするうちに、いつまでたっても字すら覚えきらない自分自身に飽きてくるのであった。これは言語の如何を問わぬ普遍的現象である。

そして企み始めるのだった例によって。はい、歌を歌うてのはどうなの?と。

おふらんす語の場合は、ちっとも覚えきってもいないl'orthographe et sa valeur phonique (アレっ?単数だっけ複数だっけ?)を駆使し、なんとなく耳で補うことにより、

中国語の場合には、とにかくひと粒ずつ字引きを引いてピンイン様を振り、作れない音は逐一各単音の作り方にまで戻って修行。文法がわからないために読み方がわからん箇所は、うーなんとなく耳で補おうかな、という感じで、

まあナントカならないこともなかった、ように思われる。

しかし朝鮮語の場合、まだ字を覚えてませーんの程度が甚だしいうえに、どうも語が連結した際に単語単位とは著しく音が変化するという現象がある(らしい、ことぐらいしかわからない)わけなのであり、うーんこれまた相当な難物となりましょうねえ。少なくとも現時点では。

さらに、よくよく考えてみるに、仏・中の場合には、わーコレ歌いたーい!の曲の魅力の方が先立っていて、それはしこしこと下拵えの努力をさせるに足るほどの圧倒的パワーを持っていた、んだったっけ。非常に残念なことに、朝鮮語の曲でそういうのはない。というかまだ出会っていない。半島においてはカワイー殿方がなかなか見つからない(や、もう見つけましたけどね。イヒヒヒ)というあの有名な現象ともしかしてパラレルな関係にあるのかしらーん?

うーんうーん、どう考えても「釜山港へ帰れ」しか知らないぞ。しかも日本語版だぞ。あれが大流行した当時、チョ・ヨンピルさん(チョーヨンピル、って伸ばして表記してたよね)のルックスも声も発音もなにもかもが嫌で耐えられなかったことが、しみじみと思い出される。そういう人間が、ですよ?今や朝鮮語を修行しましょってんですよ?

おっかなびっくりチョ・ヨンピルさんによる「釜山港へ帰れ」を味見してみましたよ。ありゃびっくらこいたよー。ルックスは、私が特段の魅力を見出さないしかし普通の人だった。声は、私が特段に好むものではないしかし普通の声だった。発声も、べっつに普通、だった。

私は一体どうしちゃったというのでしょう?

「釜山港へ帰れ」は、言葉数少なくテンポもほどよく、なんというか修行用には大変適していると思われる。ただ現状の私の能力では、ハングルだけ見て正しく発音するのは覚束ないに決まってるよなあ、そしてそれでもがんばる原動力つまりは曲または歌手またはその両方の魅力が、不足に過ぎるという気がする。

youtube様オススメを手当たり次第にクリックしていっても、出会う曲という曲のすべてがきわめてフツーであり、神経を逆撫でしたりなどは一切しないのであった。その代わりというんでもないが、キャッチィな曲気に入る曲というのにも出会わなかった。この際最もうるわしい解決策は、やはり「チェ・ジェソンさんが歌ってくれてたらいいのにー!」ということになりますわね。CDの1枚や2枚出していてくださったら一番よかったのにね、渡哲也ばりにね。そういうことはないようである、というか現在の私には探し出す力すらない(肩を落としてはらはらと落涙す)。

って、がっかりしているところへ、「我が家のハニーポット」の英語字幕版なんてものを発見したんだった、ほんの数日前に。それはまるで、天が私の声を聞き届けたのか?とでも思わないととても信じらんないことながら、チェ・ジェソンさんが歌うシーンというのが少なくとも2回あったのだー!チェ・ジェソンさんたら、歌う声も普段の台詞の声の印象とあまり変わらない感じ。わーんわーん、もっと歌って欲しいのおーんわんわん。私が認識しただけでも、おそらく3曲はあった。2つは全くわからない、おそらく朝鮮語歌謡曲の一節たち。最初の1つは、なんということだ「アルゼンチンよ泣かないで」英語バージョン、だよ。

アルゼンチン、女声による朝鮮語バージョンを味見してみましたところ、相当程度かっこいい!しかしなあ、自分で歌いたいかというと、うーんあんまり・・・。だもんであちこちクリックしていましたところ、うわあついに邂逅してしまいましたとさ。何と?ってそれは

北朝鮮歌謡!

たちと、ですよ。うっわコレ・・・どうしよう相当程度キャッチィだよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿