2016年8月22日月曜日

我が意を得たり?(「湿気」の日本文化)

日々の苦痛をやり過ごすのに精一杯で、なにもしないうちに月日が過ぎる。苦痛云々にしてからが、ちょっと前にはどういう状態だったのか覚えてないし。バカバカしいけど、それに対して焦りを感じる気力すらないぞ。

郵便局の人から電話。追加告知だそうだが、ずいぶんのんびりしてますな。

「「湿気」の日本文化」という本を(ナナメに)読んだんだった。和裁というものにあくがれ渡りつつ暮らしている私ではあるが、どうもいまひとつ踏み切れないのはズルズル邪魔くさいから、でもあったりする。自分の身長ほども丈のある、自然状態でばさばさ引きずるような物体をどうせよというのか、昔の裁ち台だのがあるならまだしも、ないのに裁断・印つけなどはどうせよといのか。それ以前に反物を水通しして干す段階でヒスが起きますがな。使用してない時にはどこへどうひっかけておけというのか。

「湿気」によりますと、現在「着物」=我が国の伝統衣装っ!ということになっておるあのアレつまり「長着」という奴は、まあ近年のしかも非労働階級のものであり、もともとは洋服のように上下セパレーツ、しかし洋服とは違い直線裁ちなので風が通るのが本態であった、と。ね、ね、せいぜい腰ぐらいの丈でズボンとかスパッツとか合わせたいな・・・と思っていた私は、おおお我が意を得たり!とか思ったよ。ま、単に入院中の「病衣」というやつにインスパイアされただけなんだけどね。あれ売ってくんないかなといまだに思ってたりして。

伝統のものだから、「しきたり」「きまりごと」をきちんと守って正しく着たいの・・・てな、着物おばさんおねえさんが跋扈しておる今日この頃であるが。若い人の中には下をタンクトップだのスパッツだので着ちゃうという着方もあるようであるが、そういうしきたりにかなわぬやり方は好きではないとかそれは本当ではないとか(この場合、脳裏の仮想敵は群ようこせんせーだったりするw)。そんなこと言うなら、着物スリップだのベンベルグ裾除け、ストレッチ足袋てなものは伝統にかなっておるわけなの?

着物の現在の姿は、せいぜいこの数十年の間に業界主導で作られたものだと思うよー。踊らされるのはバカげている。と、いうより、奴らの無理難題に応えて「しきたり」「きまりごと」を守るだけのカネをかけることのできている私(はぁと)というものに酔っている、あるいは世に知らしめんとするつまりはマウンティングというやつでせうね、けっ。

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