高すぎる、でしょ。製品になるまで大変な手間のかかるものであること、そうやって手仕事を正当に評価ししかるべき対価を支払うべきものであることは、もちろんよくよくわかってますって。
そしてまたなのか、しかし!なのかわからんが、肝心の手仕事に従事している人々は買い叩かれて、正当な報酬など受け取っていないケースが多いであろうことも容易に想像がつく。
というわけなので、茶道の人が水仕事・お運び等の汚れ仕事に高価な正絹の着物を着つぶして、戦闘服だからとかなんとか嘯いているアレ、ワサビだかわらびもちだか知らんけども侘び寂びとやらを標榜するというのなら、木綿しか使ってはいけない、生成泥墨藍限定、裁っつけ袴でキリリと武装すべしと制度的に定めることも充分可能であったろうに。避けられるのにどころか、敢えて壮大な無駄と人様の手仕事を冒涜するという真似をして喜んでる。心底アホだと思うし軽蔑するよ。
非常に美しいものもたくさんある、高いだけでしょうもないものもあるだろうけど。美しい、それはいいんだけど、製造は無理としても、自力で洗濯修理などのメンテができない衣類てのは。これが洋服だったらと考えても、自分の身長ほども丈があって手に負えないようなドレスなんて絶対に無理だ。この場合花嫁衣裳などの特殊例は除く、ね。プロに任せるとしても必ずしもうまく洗濯できるとも限らないような総絹の総刺繍の総レースのドレスだの、はたまたオートクチュール服なんて、買えたとしたって手を出さないでしょ?皇居園遊会に招かれてしまったり、えーと伍佰様が急遽お嫁に貰ってくださるとかの特殊例は除くけどね。
ええと、オチがありませんけど。言いたいことがあったような気がして始めたんだけど。
伍佰様とも手芸のたぐいとも関係ない話はここで。 おもに世の中での出来事に反応する形になると思われる。多分。 かく云う私は寿鳥骨董。 映画やらドラマやら本やらを語る際、世に言う「ネタバレ」になることが多いと思われるのでご注意ください。
2016年8月31日水曜日
2016年8月22日月曜日
我が意を得たり?(「湿気」の日本文化)
日々の苦痛をやり過ごすのに精一杯で、なにもしないうちに月日が過ぎる。苦痛云々にしてからが、ちょっと前にはどういう状態だったのか覚えてないし。バカバカしいけど、それに対して焦りを感じる気力すらないぞ。
郵便局の人から電話。追加告知だそうだが、ずいぶんのんびりしてますな。
「「湿気」の日本文化」という本を(ナナメに)読んだんだった。和裁というものにあくがれ渡りつつ暮らしている私ではあるが、どうもいまひとつ踏み切れないのはズルズル邪魔くさいから、でもあったりする。自分の身長ほども丈のある、自然状態でばさばさ引きずるような物体をどうせよというのか、昔の裁ち台だのがあるならまだしも、ないのに裁断・印つけなどはどうせよといのか。それ以前に反物を水通しして干す段階でヒスが起きますがな。使用してない時にはどこへどうひっかけておけというのか。
「湿気」によりますと、現在「着物」=我が国の伝統衣装っ!ということになっておるあのアレつまり「長着」という奴は、まあ近年のしかも非労働階級のものであり、もともとは洋服のように上下セパレーツ、しかし洋服とは違い直線裁ちなので風が通るのが本態であった、と。ね、ね、せいぜい腰ぐらいの丈でズボンとかスパッツとか合わせたいな・・・と思っていた私は、おおお我が意を得たり!とか思ったよ。ま、単に入院中の「病衣」というやつにインスパイアされただけなんだけどね。あれ売ってくんないかなといまだに思ってたりして。
伝統のものだから、「しきたり」「きまりごと」をきちんと守って正しく着たいの・・・てな、着物おばさんおねえさんが跋扈しておる今日この頃であるが。若い人の中には下をタンクトップだのスパッツだので着ちゃうという着方もあるようであるが、そういうしきたりにかなわぬやり方は好きではないとかそれは本当ではないとか(この場合、脳裏の仮想敵は群ようこせんせーだったりするw)。そんなこと言うなら、着物スリップだのベンベルグ裾除け、ストレッチ足袋てなものは伝統にかなっておるわけなの?
着物の現在の姿は、せいぜいこの数十年の間に業界主導で作られたものだと思うよー。踊らされるのはバカげている。と、いうより、奴らの無理難題に応えて「しきたり」「きまりごと」を守るだけのカネをかけることのできている私(はぁと)というものに酔っている、あるいは世に知らしめんとするつまりはマウンティングというやつでせうね、けっ。
郵便局の人から電話。追加告知だそうだが、ずいぶんのんびりしてますな。
「「湿気」の日本文化」という本を(ナナメに)読んだんだった。和裁というものにあくがれ渡りつつ暮らしている私ではあるが、どうもいまひとつ踏み切れないのはズルズル邪魔くさいから、でもあったりする。自分の身長ほども丈のある、自然状態でばさばさ引きずるような物体をどうせよというのか、昔の裁ち台だのがあるならまだしも、ないのに裁断・印つけなどはどうせよといのか。それ以前に反物を水通しして干す段階でヒスが起きますがな。使用してない時にはどこへどうひっかけておけというのか。
「湿気」によりますと、現在「着物」=我が国の伝統衣装っ!ということになっておるあのアレつまり「長着」という奴は、まあ近年のしかも非労働階級のものであり、もともとは洋服のように上下セパレーツ、しかし洋服とは違い直線裁ちなので風が通るのが本態であった、と。ね、ね、せいぜい腰ぐらいの丈でズボンとかスパッツとか合わせたいな・・・と思っていた私は、おおお我が意を得たり!とか思ったよ。ま、単に入院中の「病衣」というやつにインスパイアされただけなんだけどね。あれ売ってくんないかなといまだに思ってたりして。
伝統のものだから、「しきたり」「きまりごと」をきちんと守って正しく着たいの・・・てな、着物おばさんおねえさんが跋扈しておる今日この頃であるが。若い人の中には下をタンクトップだのスパッツだので着ちゃうという着方もあるようであるが、そういうしきたりにかなわぬやり方は好きではないとかそれは本当ではないとか(この場合、脳裏の仮想敵は群ようこせんせーだったりするw)。そんなこと言うなら、着物スリップだのベンベルグ裾除け、ストレッチ足袋てなものは伝統にかなっておるわけなの?
着物の現在の姿は、せいぜいこの数十年の間に業界主導で作られたものだと思うよー。踊らされるのはバカげている。と、いうより、奴らの無理難題に応えて「しきたり」「きまりごと」を守るだけのカネをかけることのできている私(はぁと)というものに酔っている、あるいは世に知らしめんとするつまりはマウンティングというやつでせうね、けっ。
2016年8月12日金曜日
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